海の帝国

 歴史をつくるのは、いつだって勝利した側の人間だ。
 そのために、敗者が野蛮で無様な敵役として描かれたり、存在自体を抹消されたりといったことがしばしば起こりうる。
 もしかすると、いまわたしたちが認識している歴史だって、敗者側の言い分を含まない不完全なものかもしれない……
 そんな視点から琉球王国の帝国的側面、歴史の「断層」にスポットを当てようと試みたのが、国立歴史民俗博物館の特別展「海の帝国琉球」だった。
 八重山宮古などの島々を、わたしのような本州の人間はひっくるめて「沖縄」の一部と認識してしまいがちだが、そもそも宮古島沖縄本島は距離にして300キロも離れている。現代においても、風習や言葉、意識の面での違いが根強くあるのだと、以前に教えてもらった。
 本展の視座に沿えば、先島諸島は元来、沖縄本島とは違った統治体制・文化を持ち、中国とも沖縄本島を介さない交易ルートを築いていたという。かような経緯があるとすれば、いまにいたる気質の違いもうなずけるというものだ。
 しかし、そういった地域性・独自性をもった島のありさまは、琉球王国の正式な文書にはほとんど記録されていない。
 そのすがたを雄弁に物語るのが考古学の研究成果だ。先島諸島には珊瑚石で組んだ独特な集落の遺跡が存在し、そこから出土する中国製の陶磁器のタイプが本島とは大きく異なるのである。木や紙と違い、陶磁器は破片になっても分解されずに土中に残る。また、柱が腐っても、地面を穿ってできた穴は遺構としてやはり残りつづける。紙媒体の史料には残らなかった歴史の痕跡を、発掘調査がカバーしてくれるのだ。
 琉球王国が本島から離島へ版図を広げていく頃、中国陶磁は先島諸島の遺跡からぱたりと出土しなくなる。これは、先島諸島が侵攻され、王国の支配下に組み込まれたことを意味する。
 首里城から出土する中国陶磁の陶片は、本島の内外にある他の城郭から出るものに比べてもずば抜けて質が高い。完器であれば名品クラスの陶片ぞろいである。琉球「帝国」の王権がいかに他を圧するものであったかが、やきものからよく伝わってきた。
 本展では、文献史学や考古学に加えて、民俗学の研究成果も存分に活用されている。学際的な連携により、丹念に証拠を積み重ねる。きらびやかな紅型も螺鈿漆器もない、あるのは陶片ばかりの地味な展示ではあったが、じつに歴博らしい、知的好奇心をそそられる好企画であった。