春章礼讃(2/2)

 この第二室の展示プランを考えた人の気持ちになって思考のプロセスを好き勝手想像してみると、なかなか楽しい。
 まず、展覧会の顔であるところの春章《婦女風俗十二ケ月図》《雪月花図》をどこに並べようか。第二室の奥は展示の中でもとりわけインパクトのあるもの、屏風や襖などが陳列される印象があるが、《十二ケ月》を10幅も掛けまわしたのではぎゅうぎゅうになってしまう。《雪月花》では、三幅対とはいえスペースが余って、ぽつんとしすぎてしまう。とすれば《雪月花》の隣にもう一点、見劣りがせずよく和する「格」のあるものが掛かっているとよいだろう。それは栄之《円窓九美人図》をおいてほかにはない。となると《十二ケ月》は別の部屋に――こんなパズル合わせのようなごっこ遊びをして、うんうんと頷きながら共感と納得の表情を浮かべるわたしであった。
 《十二ケ月》は、続く第三室に掛けられていた。全10点、ずらり一直線。十二ケ月にもかかわらず10点なのは、一月と三月の図が伝世の過程で失われてしまったため。清方は二図の補作を打診されたが、自分にはとてもできないと断ったエピソードが残っている(清方はこの作品を模写して学び、のちにオマージュとして《明治風俗十二ケ月図》を描いている)。
 《十二ケ月》《雪月花》の各図はどれも、ひとつの画面のなかに季節を感じさせるアイコンを盛りこみつつ、江戸の町に生きる女性たちのとりとめのない暮らしぶりを細やかに描きとめている。
 七夕、角盥(つのだらい)に張った水の面(おもて)に夜空の北斗七星を映して涼む女性たち。頭上には短冊を括った笹が揺れる。春の日、毬遊びの最中、桜の木の枝に引っ掛けた毬をとろうとする女性たち。落ちてくるのは桜の花びらばかり……一幅のなかに一話の物語が織り込まれていて、よく仕込まれた掌編の小説を読むような心地にさせられてしまう。
 春章の筆は繊細優美で、芝居気やケレン味といったものを感じさせない。月並みなことを言うが、ほんとうに「日常のひとコマを切り取ったかのような」、それでいて完結性の高い絵なのである。
 この後にも歌麿北斎などの名品が続くが、近代の展示室にあった板谷波山《葆光(ほこう)彩磁和合文花瓶》のやわらかな、つかみようのない葆光釉のマチエールと発色は、春章描く女性像の澄みきった純白の醸し出す空気となによりも共鳴するものと感じた。このことは、来館前に展示リストをながめていたときから意識していた。
 春章ほど“画品”という言葉の似合う浮世絵師もいない。それは陶芸における波山の格調によく符合するのではないか。有り体にいえば、相性がよいのである――そんなことを考えながら、駅に向かうバスの車窓から大海原を眺めていた。


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急角度の斜面を上がった高台に立つMOA美術館からは、市街地が見えない。海、海、海、それに島と梅林だけである(基本的には)。梅の木に蕾がつき、光琳紅白梅図屏風》が公開されれば、熱海の春はもうすぐそこ。