集めたもの・集まったもの(2/3)

 サンリオピューロランドのゲートを正面に見て右手側に、ベネッセコーポレーションの大きなビルがある。東京本部、だそうだ。さすがは子どもが主役の街だ。
 ベネッセビルの陰に隠れるように佇むのが、この日2つめの目的地・多摩美術大学美術館である。
 今回の展示は「須藤一郎と世界一小さい美術館ものがたり」。須藤さんは保険の営業マンとして労働にいそしむかたわら、同時代の作家による抽象絵画をこつこつと収集し、自宅を改装して「すどう美術館」を開いたサラリーマン・コレクター。定年退職後の現在は小田原にお住まいとのこと。
 須藤さんがコレクションをはじめたきっかけは、伊豆の美術館で菅創吉(すがそうきち)という画家の作品に衝撃を受けたことであった。そのとき画家はすでに亡くなっていたが、須藤さんは憑かれたように菅創吉の作品を集めだした。やがて蒐集の対象は創吉の周辺、さらに若手を含む多くの作家へと広がっていった。
 わたしが千葉から多摩センターまで、この展示のためにはるばる足を運んだ理由としては、ひとりのコレクターにフォーカスするというコンセプトに興味を持ったという点がまずひとつ。また、出品されている画家の顔触れも好みだった。
 だがそれ以上に、リーフレットに大きく出ていた菅創吉の油彩《壺中》に、えもいわれぬ魅力を感じたことが大きかったのだ。
 創吉の作品は27点。油彩を中心に版画や素描、機械の部品を組み合わせたオブジェが、ひとつの展示室をまるまる使って並べられていた。
 創吉の画面はどれも暗い。はっきり言って地味だ。描かれる人物や図形などのかたちも、なにかに似ているような、似ていないような。タイトルはいちおうついているものが多いが、意味がわからない。
 そう言ってしまうと奇矯で不気味なばかりの絵かと思われるかもしれない。人によってはそう受け取るのだろうが、少なくともわたしにはなぜか、創吉の作品にはどれも人肌の温かみがあるように感じられたのだった。展示の冒頭に掲げられた《壺中》を観てから創吉の展示室を出るまで、それは変わらなかった。
 一見無機質な金属の部品によるオブジェにも《たつのおとしご》だとか《ダックスフンド》といったように、茶目っ気のある見立てがされている。こんなところにもまた、「温かみ」を裏づける要素が隠れているのかもしれない。(つづく)

 

※安直な例示は避けたいが、創吉の絵画世界は、あえていえばパウル・クレーに近い