集めたもの・集まったもの(3/3)

 創吉の筆触は、粗くても乱雑には見えず、むしろ理知的な静寂を放っている。画面に施された行為は塗る、摺る、垂らす、削るなどさまざま。かすれ、にじみ、ぼかしのような無作為の効果も生じている。創吉の絵は、長い時間をかけてなされた「痕跡の累積」とでもいえそうだ。
 その前に立つと、画面上にあらわれた痕跡を追い、マチエールを確かめることをやめられない。その場から離れられない。創吉の絵は、観る人をくぎづけにする絵だ。
 このときのように、思いのほかいい絵に出合うとわたしの呼吸は浅くなり、ふだんは感じない脈動すら手に取るようにわかるようになる。形容すれば「ぞくりと手ごわさを感じる」体験であり、もっとくだけた言い方をすれば「ぐっとくる」「ひやっとする」といった表現がしっくりくる。こんな瞬間はそうそう訪れないが、有り体に言って快感というよりほかない。
 そして同時に、須藤さんの原点にして最もほれ込んだ画家・創吉の作品をとおして、須藤さんご自身の感動が乗り移ってきたような、バトンを受け取ってしまったような……そんな気もしたのだった。 


 ほぼ菅創吉についての話となってしまったが、前述のように須藤さんは同時代の他の抽象画も精力的に蒐集した。大沢昌介や河野扶の大画面の作品がとくにいいなと思った。また、すどう美術館では独自のアワードを設け、受賞作の買い上げなど若手作家の支援にも尽くしている。アーティスト・イン・レジデンスの実績もある。2階の展示室には若手や海外作家の作品も所狭しと展示されていた。
 展示作品のどれもが、いわば須藤さんの主体的な行動と選択の結果であり、須藤さんの美意識・趣味で貫かれている。ひとつひとつの作品のもつ力はもちろんのこと、作品が総体としても強く胸に迫ってくるのを感じた展覧会だった。コレクションはまぎれもなく須藤さん自身の「作品」であり、「集めたもの」の真骨頂といえるものなのだろう。
 多摩美大では、この展覧会を嚆矢として「コレクターズ」と題するシリーズを立ち上げ、あるコレクターに焦点を絞った企画展を開催していくという。大いに、大いに期待大である。


 奇しくも同じ多摩センターで同時期に公開されていた、KDDI ART GALLERYの「集まったもの」と、須藤さんの「集めたもの」。好対照なふたつのコレクションへ思いをはせつつ、行きつけだった店で久しぶりに寿司をつまみ、盃を傾けて帰路についた。