粗忽の日(3/3)

 都会の喧騒を離れ、武蔵野の原風景に遊んだ充実の休日であった……と〆るのはまだ早かった。本来の目的地は府中市美術館「春の江戸絵画まつり 与謝蕪村」。
 「春の江戸絵画まつり」は例年「春の展示替えまつり」でもあり、前・後期でかなりの作品が入れ替わる。そのため、そう近くに住んでもいない身からすると、なるべく1度の訪問で済ませられるよう算段をして向かうことになる。今回は諸事勘案の結果、こうして前期展示を拝見しにやってきた。
 蕪村の絵に対する評価は、晩年のものが最上とされ、若描きや略筆の俳画はランクの落ちるものとみなすのが一般的だ。この展示ではその価値観を崩したい意図があるのだという。
 結論からいうと、わたしはその意図を汲みきるには至らず、またしても蕪村という作家のことを「つかめなかった」。晩年の、余白を効果的に用い、その白さのなかに絵が吸い込まれて霧消していくような静謐な境地のもの(作品1作品2)を前にすると、それよりも手前に並んでいた軽妙な絵、若描きの絵の印象は一気に吹き飛んでしまったのである。
 これは画家の性質どうこうというより、ひとえに好みの問題かもしれぬ。しかし、つかみどころがないながらも気を引くものはあり、その深遠さこそ蕪村の絵のもつ力なのかもしれない、などと考えをめぐらせながら常設の牛島憲之記念館を見て、帰りのバスに揺られたのだった。
 乗り換えの便を考え武蔵小金井駅へ向かったのだが、改札へ向かうと、信号機の故障のため中央線が運休中であった。かれこれ2時間ほども止まっているという。バスに乗る前に調べておけば、こんなことにはならなかった……致し方ないので、来た道をバスで引き返して府中駅へ。
 粗忽と不運とが折り重なった日であった。救いはといえば、床屋の閉店時間に滑り込めたことくらいか。
 わたしの単独行は、油断するといつもこうした行き当たりばったりの道行きとなってしまう。今回のように近場であればいくらでも取り返せるが、旅先ではそうもいかない。この苦い感覚、ゆめゆめ忘るることなかれ……

 

※再掲