展示室から飛び出したくなる絵

 日本のほぼすべての都道府県に都道府県立の美術館があり、そのなかの主要な自治体の多くもまた美術館を持っている。これら公立美術館に共通の使命として、「郷土ゆかりの作家の顕彰」というものがある。
 ところが、ある地域で生まれたり、育ったり、住んだりした作家の作品を一堂に並べたとて、展示室のなかに調和が生まれる保証はない。成育や暮らしの環境が作家性や作品に直結するとはいいきれないからだ。
 そんなわけで、日本の公立館の常設展示室はよくいえばバラエティに富み、悪くいえば統一感に欠ける展示風景になりがちである。
 平時はそういったジェットコースターのような起伏を含めて公立館の常設展示を楽しんでいるのだが、沖縄県立美術館の常設展示には「ごった煮」感がなく、それぞれの作家がおのおの個性を発揮しつつも、かならず濃密な土地の香りをまとっていたのが印象的だった。
 経歴を見ると、沖縄に生まれ、東京など内地の美術学校で学んでから沖縄に戻り、生涯を通じて沖縄で活動した作家が多く、これらほぼすべての作家が初めて触れる描き手だった。なかでも魅かれたのが、大嶺政寛(せいかん、1910~87年)という画家。
 政寛の油彩《八重山風景》は、赤瓦が葺かれた家屋の連なりを、フォーヴふうのおおまかな形態の把握、太めの描線、鮮やかな色彩で描いたもの。赤瓦と青空の対比、またそのタッチは梅原龍三郎の北京の絵を想起させるし、時代からしても影響関係があっておかしくはないのだが、決定的な違いは「温度」にあるのではと思われた。
 政寛の絵は、その前に立った瞬間にむせかえるような暑さ、南国の温度が画面から横溢してくるようであった。梅原は紫禁城の見えるホテルに宿をとって北京の連作を描いたといい、旅人という第三者としての、物見遊山的なのどかさが身上ともいえる。それに対し、その土地に生きて暮らす者だからこそ出せる気温や気候、風土をも感じさせる力強さが、政寛にはあると思われたのである。
 「赤瓦の政寛」と呼ばれたこの画家は、赤瓦の屋根をはじめとした沖縄の文化や風土を感じさせるモチーフを終生描いた。政寛の絵を見ていると、ホワイトキューブの展示室からただちに飛び出し、政寛が描きつづけた沖縄の原風景を訪ね、肌で感じてみたい衝動を抑えられなくなるからふしぎだ。
 那覇にある老舗の沖縄料理店を訪ねると、二階の座敷に赤瓦の家屋を大きく描いたラフなタッチの大きな油彩画が掛かっていた。もちろん、隅っこには小さく「SEIKWAN」のサインが。
 沖縄に生まれ、育ち、暮らした政寛の描く絵が、その地元で現在も受け入れられ、景色のなかに溶け込んでいる。絵と街の幸福な関係の好例を見たように感じた。
 政寛の作品は、このようにしてまだまだ街じゅうに眠っているのではないだろうか。政寛の作品を探しながら県内の古い店を巡ってみるのも乙かもしれない。