能楽堂で考えた(1/2)

 お能のことがわからない。
 大方の人がいだいているであろう「お能は難解でとっつきにくいもの」という認識をわたしもまた共有している。白洲正子さんの著作で未読なのは、お能に関するものだけだ。
 そんなわたしであるが、先日、国立能楽堂へ行ってきた。
 とはいっても観劇と決め込んだわけではなく、能楽堂の建物内で開催中の「日本人と自然 ―能楽と日本美術―」という展示を観に来たのであった。
 お能の展示といえば能面や能装束、謡本が並んでいるのを想像してしまうが、この展示はお能の劇中やそこに描かれた美意識を絵画化・意匠化した美術工芸品を集めたもの。なかんずく盃や印籠、鼓胴、櫛といったうるしの佳品が質量ともに充実しており、さながらお能の名を借りたうるしの展覧会の様相を呈していた。
 抱一が下絵を描き、羊遊斎が蒔絵で制作した一連の協働作品は、とくに力を入れて集められていた。椿の折枝をあしらった棗にいたっては、抱一の下絵も同時に展示。下絵といっても、発注書代わりの書状の端に墨でさらりと描いた代物である。
 素描や下絵のおもしろさは、肩の力が抜かれて、余分な力みや気負いの見られない点、そして色に惑わされずに画家の引いた線が楽しめる点にあると思っている。これもまさにそんな絵だった。とりわけ、必要最小限の筆技で的確にとらえるあたりは、出光所蔵の光琳の茶碗下絵に近いものがあると感じられた。
 羊遊斎はこの下絵に彼なりのアレンジを加えて、棗の形としている。
 是真の作品も多いが、有名どころの作家以外にも近世、近代の無名作を含む名工の作を多々観ることができる。こういった近世・近代の漆工芸はあまり主役になれない分野なので、貴重な機会だ。
 能衣裳と並べる形で、静嘉堂の伊年印草花図の屏風も出ていた(展示替えのあとには武蔵野屏風が並ぶらしい)。前日に行ってきた山種美術館では「百花繚乱」という展覧会を開催中で、花をモチーフとした近現代の作品が多数展示されていたのだが、明らかに伊年印草花図を下敷きにしたと思われる作品が複数あった。静嘉堂の伊年印草花図は類型化が進みつつある作行きと見受けられたが、やはり古いものはいいものである。(つづく)